ご存知かと思うが”Bwana”の前身である「なぞなぞ商会」の「おどろくなよ!」を公開することとした。
1981年の10月12日から11月15日にかけて閉店後深夜のELLにて録音された「なぞなぞ商会」としては二作目にあたるカセットアルバム。
お馴染みの楽曲が並ぶが、カセットテープの制約もあり楽曲は1曲1曲分断されていた。
それぞれの楽曲を繋いでみると、当時思い描いていた作品の世界感が蘇りもするので愉快だw。
MP3ファイルにて公開。
元データは第三世代ぐらいのカセット音源なのでやや粗い音質なれど、当時の熱は届けられるのではないかと思う。
これも遠藤豆千代と先に旅立ったヒコに捧げるものとする。
http://hot-rats.com/sounds/20201201/ にて。
ちなみに第一作は「サラダナイト」こりゃもう幻w。
第三作が「大雑把」ここまでカセットアルバム。
第四作が「美しい鮨」ビニルレコード
第五作が「なぞなぞ商会 20121202」DVD
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決定事項をお知らせいたします。
●場所はellSIZE
愛知県名古屋市中区大須2丁目10−35
地下鉄鶴舞線『大須観音駅』下車、2番出口より徒歩1分
TEL ell.SIZE 052-211-3997 /FAX 052-203-4554
●開催予定日は来る5月8日(土曜日)。
開場時刻16時
開演時刻16時30分
●未だ先の見えぬ時勢でありますので、ご入場いただく前に
検温と手指の消毒は必須とさせていただきます。
なお、検温にて37度超である場合には入場をお断りさせていただきます。
●前売:3500円で1ドリンク別途要、
当日券の発売はありません。つまり、予約のみが有効です。
※ELL側のキャパ設定が変わりましたら増える可能性があります。
●完全予約式で当日くじ引きで完全指定席方式です。
お席の移動はできません。
先着30席強ほどご用意させていただきます。
ただし、30席のご予約に届かない場合には開催しない場合もございます。
お含みおきください。
●ご予約受付締め切り
5月7日(金曜日)21時
御予約は各演者宛へのFBメッセージ、または”Bwana”宛メールでも可能です。
メール bwanadickworld@gmail.com
会場への予約電話は
ell.SIZE 052-211-3997 おかけ間違いにご注意ください。
●ローソンチケット
コード番号はL-42940
https://l-tike.com/order/?gLcode=42940
表示では17時30分とありますが16時30分のスタートです。
●チケットピア
https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=2106142&rlsCd=001&lotRlsCd=
にて検索してください。
●ゲストは「東京ザッパラス」メンバーから”板橋組”。
https://www.facebook.com/tokyozappalas
1・ドウィージルザッパが認め、「TEE」などで活躍するフルート奏者
ナポレオンホワイト~イマケン
2・「マシンメサイア」のG奏者である
スティーブ梅~Tatsuo Inoue
3・「ししごころ」「さんずい」などドラムからヴォーカルまで行く
江戸man子ことタマオ明田川満夫人
●当方からの動画ストリーミングサービスは行いませんが
録音・写真撮影ともにご自由にどうぞ。
ただし、公式撮影以外の方は御席からの移動は出来ません。
あらかじめご了承下さい。
●また会場である「ellSIZE」から以下のお願いが出ています。
感染拡大を防ぐためにもよろしくご協力お願いいたします。
https://docs.google.com/…/1FAIpQLSc5csZ8C3B0tG…/viewform
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このサイトへ訪れている方にはたびたび目に触れていたであろう名、遠藤豆千代が 2020年9月8日手の届かない世界へとツアーへ出かけた。生前各方面に多大な迷惑をおかけしたことは義兄紫が深くお詫びするとともに、奴の念願でもあったかもしれない、世界ツアーが成功することを祈ってやって欲しいと都合よく考えている。
私と遠藤との出会いは1970年代後期、当時の名古屋下町大須界隈では世代交代と外部からの若い世代の流入によって徐々に活気が戻りつつあった頃で、音楽や演劇など先鋭的文化集団があちらこちらに拠点を構え始めていた時期でもあった。
当時、平野茂平が運営を始めた「Electric Lady Land」(参考)のご近所に演劇スペースとして有名な「七ツ寺共同スタジオ」もあり、各所で演劇に携わっていた遠藤と交流が生まれたとしてもなんら不思議のないことでもある。
そんな環境の中、当時まだ学生であった「遠藤豆千代」は「パトラ風色劇場」なる劇団を主宰していたわけだが、ひょんな話で一度セッションしましょうという話が持ち上がり、我々と遠藤が出会うことになる。引き合わせた人物は平野茂平だった記憶がある。
1979年の4月ではなかっただろうか。その年の7月2日に「あがた森魚氏」が名古屋でコンサートをするということで前座をどうかという話があり、遠藤と組み即席のバンドを作ったのが始まりであった。
ステージに上がるにはバンド名も必要になるのだが、その時の名前は「遠藤豆千代とパンクフロイド」。なんともお気楽なネーミングであった。
遠藤はことのほか「ロッキー・ホラー・ショー」がお気に入りで我々に一見を勧め、我々は我々で見事にその面白さに惹かれてしまったわけだ。で、かの楽曲を遠藤特有の言葉回しによって原型とはかけ離れた形で奏ることになっていったのもこの時期になる。「大名古屋ビルヂングの唄」・「タイムワープ」などがそれである。
公演はどうやら気に入った方が大勢いたようで、その後も一緒にやろまいということになった記憶だ。
毎夜毎夜閉店後の「Electric Lady Land」で繰り広げられる摩訶不思議なエクササイズやミーティング。いわばガキの実験場とでも言えるだろう。
また、よくミーティングと称して遠藤宅に頻繁にお邪魔したのであるが、彼の部屋には彼の癖や趣味のコレクションが山のようにあり、それらから受ける新鮮なインスピレーションは、演劇的匂いとともに徐々に私たちを「見ても面白いバンド」という方向性に向かわせていったわけだ。「Frank Zappa」の影響をももろに受けていたわけで、それらのインスピレーションが融合するのは想像するに容易いことだと思う。 そして「なぞなぞ商会」と形を変え世に出ていくこととなる。
遠藤は物書きとしても異彩を放っていたわけで、「なぞなぞ商会」の公演台本はほぼ全て彼の手になるものだ。楽曲と楽曲を個別に奏でて終わるのではなく全体の「流れ」として捉え、ライブそのものを1話の芝居の如く奏でていく手法、ミュージカルとまでは言えないだろうが、そうZappaのお得意のあれだ。
そんな遠藤の台詞のいくらかには、遠藤が持っていた死生観を表す言葉が散りばめられている。もうすでに当時から遠藤の中では同時進行的に温めていたことでもあっただろうと思うが、散りばめられたそのもやっとした言葉たちを集めて「話」として集積する。その結実したものが奴のソロ活動「コスモスお」だ。
佐藤幸雄との「二人会」から始まった。
昨今SNSなどで情報入手がかの時代より易しくなっていることもあり、既に各話読まれた方も多いと思うし、語られた話の中にはすでに読んだな的な既視感をお持ちになった方もいるだろう。
遠藤が永遠の世界ツアーへと旅立つほぼ3か月前、その「コスモスお」をラジオ番組のような形で残しておきたいと話が彼からあって、私もそれを勧めた。ツアーへと旅立つのはまだ先だと信じたからだ。長い間透析患者であった奴の身体はさらに大きな病魔に浸食され始めていて、奈良の自宅にて静養中であった。
病魔と闘いながらの作業ゆえに、スタジオなどに移動も困難であることから、自宅にて録音をするという形をとって進めたわけだ。
同時に、豆ともどもライブ時の撮影をお願いしていた写真家でヒーラーでもある「ね~さん」が施術に奈良に通うと聞きおよんでいたので、それならばと録音中の撮影も依頼することにし、時を見ては奈良へと向かった。
淡々と進められる録音作業。ぼつぼつ訥々と語り続ける遠藤。吠えていた頃の遠藤とはまったく違う、そう奴自身が思いをそのまま残しておきたいという静かだが強い気概。病の状態によっては時に明るく時につらく。それが数回続いて8月21日、録音は全作ではないにせよなんとか終わらせる時がきた。奴の「これぐらいが最後かな」のひとことで。
残された奴の音声データが手元にある、モニターしながら録っていたときにも気づきがあったのだが、彼が望んだようにほぼ「ラジオ番組」のような仕様として残しておきたいし、そこに収まっている言葉の数々はもちろん残された家族へのものであるがそれだけに収まらず、遠藤を愛したすべての人たちへ向けた奴のツアー宣言のようなものだ。
それはやはり真摯に受け止めるものであって、噛みしめて欲しい。
ただ、世間的に出版という形は無理だと思うので悩みは大きい。
若々しき頃「まったくお前は素晴らしい奴さ。頭の中がおまんこでいっぱい。」と吠えた遠藤。そうだ、まったくお前はずっと素晴らしいままだ。
「 また豆の事凄いと思ったね 」と言い返されそうだな。
またやろうな豆。
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4月26日(日曜日)
「KDハポン」にてのイベントについてのお知らせ 第四弾。
4月1日現在「新コロナウイルス惨禍」は名古屋でもいよいよ包囲の網を縮めてきております。
我が国政府の対応の愚鈍さはお話にもならず、自粛要請などとほざいておりますことはすでに皆様にもご存知のことかと思います。
お客さんがやってきてこそ「箱」は保つことができます。しかしながら「新コロナウイルス」は素手で立ち向かい勝てるような相手ではありません。
「飛沫感染」「接触感染」はすでに確認されておりますが、「空気感染」もありうるとの説も出ています。
よって、我々や皆様が準備する市販マスクやアルコール消毒のみでは心許なくなってきました。
もはや「うつらない」という次元ではなく、「うつさないように」という次元であると考えますことから、佐藤幸雄君・ブワナメンバー・ハポンモモジさんと協議の末、中止と決定させていただきます。ご理解ください。
つきましては「なぞなぞ博物館」「ジョージタウンリベリオン」二本の動画はすでに「YouTube」上にアプロードされておりますことから代替えとはなりますが、近々ですが、FB上にてグループチャットを新規立ち上げますのでよろしければ参加してください。その場でリンクURLを発表させていただきます。時限公開といたします。
新規グループチャットURLはこのスレッドとイベントページにて書き加えさせていただきます。お待ちください。
まずは生き抜いてこそ。
Bwana代表 紫狂乱
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4月26日(日曜日)「KDハポン」にてのイベントについてのお知らせ 第二弾。
「KDハポン」では基本的に「KDハポン」による中止要請などはしていないとのことです。
よって、4月26日のイベントは当方も基本中止にすることはありません。
ただし、先日お知らせしたとおり「遠藤豆千代」につきましては彼の状態を鑑みて出演は
見送らせていただきますこと了解くださいますようお願いします。
「佐藤幸雄」はどのようなスタイルで出演していただけるのかまだ決まってはおりませんが、
出演はあります。
なお、動画と映画の上映でおよそ二時間強となりますことから「座談会」は見送ります。
つまり、動画爆音上映+映画爆音上映+佐藤幸雄ミニライブという形になるものとお考え下さい。
当日までに「新コロナ惨禍」は収まってはいないと予想されますので参加いただける方は
その点を十分考慮していただき参加不参加を決めてくださいますようお願いします。
なお、「マスク」の配布はできないと思いますが、「消毒液剤」は準備しております。
開場時間:15時30分 開演時間:16時~
予約価格・当日価格ともに1500円といたします。
飲食費は各自ご負担ください。
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先日、ドラマーであるマコが右上腕から右肩甲骨にかけて骨折してしまい、しばらくの間ライブは残念ながら行えないことになりました。
もちろん治療優先でもあることから復帰の時期はまったく不明です。
心配される方もいらっしゃるかもしれませんが骨折した当人はいたって明るく元気です。ご安堵ください。
もちろんメンバー一同彼の復帰を首を長くして待ちます。
来る4月26日(日曜日)にはすでにライブ予定が組まれておりましたので、無い頭を絞り~の助言をいろいろ賜り~ので同日のイベントは形を変えて皆様にお届けできる感じとなりつつあります。今しばらくお待ちくだされ。
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「なぞなぞ商会」ではカセットテープやLPレコードを出してはいたものの、「BwanaDick」へと移行しさらにまた「Bwana」となっている現在まで、
「形」ある物としての出版はなにもないわけでw、あるといえば「ステッカー」やら「Tシャツ」ぐらいでちょいと寂しいってことになり。
音を出して喜んでいただいてナンボなのがバンドって生き物なわけですからオッシャ作るかってことでタイトルの「限定30部CD-R」なわけです。
悲しい出来事もありましたが、一番の供養にもなるのではないかということで、2019年のパフォーマンスから色々と切ったり貼ったりとやってます。
今月中にはケースに収める冊子なども出来上がるという見通しなので一息つけるかなと。
量販はまずありえないw、いわばアングラバンドなのでなんか出るぞってのを知ってる人にだけ手渡る方式にしましたわ。
手にしていただいてニンマリもあるでしょうし、ケッってこともあるでしょうw。それはどうでも良いことでw、とにかくデータではないものを作りましたよ。
入手された方のブックシェルフの一角を埋めさせてもらいますわ~。
2019年の「Bwana」と「遠藤豆千代」がそこに居ます。
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2019年12月31日の早朝、「MAHYA」「東京ザッパラス」のベーシスト「明田川満(通称アケ)」氏が永眠した。
あまりにも早すぎてあまりにも突然で、SNS上でその連絡を見つけた時には目を疑った。
奴が旅立ったほぼ同時刻、奴と交えた「ジョージ・タウン・リベリオン」の記録として冊子の構成のためにしていた作業を中断して眠ろうかと思っていた頃だ。
疲れていてもなかなか寝付けず、希薄でぼんやりとした意識のまま微睡むことしかできず、振り返りつつの時間を過ごしていたわけだ。
眠らせてくれないあの感じは今思えば虫の知らせだったのだろうか・・?。
奴と出会ったのは、俺が音楽の現場に戻りいわばリハビリをしていた頃。
当然ながら奴が夫人や東京の仲間たちと築いてきた時間に比べれば圧倒的に短い時間にすぎないのだが、なぜか奴の奏でるベースには懐かしさがあってずっと続いていた付き合いであったような感覚さえあった。
とはいえ実際ステージで奴の音の上で踊った機会は数度しかなく心残りとしか言い表せない。
ステージで会話が成立する数少ないベーシストのひとりだった。惜しんでも惜しみ切れない。
12月1日「ジョージ・タウン・リベリオン」というイベント。そして23日の夜に会う機会もあって馬鹿話に花を咲かせつつ呑み交わし、率先して関西へも足を延ばそうと意気込みを語り、全国でザッパ音楽のつながりが増えれば面白くなるね~なんて夢を語っていたのもなんだか遠い昔の出来事のようだ。
この喪失感はキツい。めっちゃキツい。
たとえ奴が疾患持ちだったとしても、定期的に受診もしており不安視されるようなことも聞いていなかったわけで、普通に考えれば一回り歳上の俺の方が同じ目に遭っても不思議ではない。大いなる神には猛抗議しなければならない。 そしてアケよ順番が違うんだよ。間違ってる。

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