Archive for 9月, 2020

 このサイトへ訪れている方にはたびたび目に触れていたであろう名、遠藤豆千代が 2020年9月8日手の届かない世界へとツアーへ出かけた。生前各方面に多大な迷惑をおかけしたことは義兄紫が深くお詫びするとともに、奴の念願でもあったかもしれない、世界ツアーが成功することを祈ってやって欲しいと都合よく考えている。
 私と遠藤との出会いは1970年代後期、当時の名古屋下町大須界隈では世代交代と外部からの若い世代の流入によって徐々に活気が戻りつつあった頃で、音楽や演劇など先鋭的文化集団があちらこちらに拠点を構え始めていた時期でもあった。
当時、平野茂平が運営を始めた「Electric Lady Land」(参考)のご近所に演劇スペースとして有名な「七ツ寺共同スタジオ」もあり、各所で演劇に携わっていた遠藤と交流が生まれたとしてもなんら不思議のないことでもある。
そんな環境の中、当時まだ学生であった「遠藤豆千代」は「パトラ風色劇場」なる劇団を主宰していたわけだが、ひょんな話で一度セッションしましょうという話が持ち上がり、我々と遠藤が出会うことになる。引き合わせた人物は平野茂平だった記憶がある。
1979年の4月ではなかっただろうか。その年の7月2日に「あがた森魚氏」が名古屋でコンサートをするということで前座をどうかという話があり、遠藤と組み即席のバンドを作ったのが始まりであった。
ステージに上がるにはバンド名も必要になるのだが、その時の名前は「遠藤豆千代とパンクフロイド」。なんともお気楽なネーミングであった。
遠藤はことのほか「ロッキー・ホラー・ショー」がお気に入りで我々に一見を勧め、我々は我々で見事にその面白さに惹かれてしまったわけだ。で、かの楽曲を遠藤特有の言葉回しによって原型とはかけ離れた形で奏ることになっていったのもこの時期になる。「大名古屋ビルヂングの唄」・「タイムワープ」などがそれである。
公演はどうやら気に入った方が大勢いたようで、その後も一緒にやろまいということになった記憶だ。
毎夜毎夜閉店後の「Electric Lady Land」で繰り広げられる摩訶不思議なエクササイズやミーティング。いわばガキの実験場とでも言えるだろう。
また、よくミーティングと称して遠藤宅に頻繁にお邪魔したのであるが、彼の部屋には彼の癖や趣味のコレクションが山のようにあり、それらから受ける新鮮なインスピレーションは、演劇的匂いとともに徐々に私たちを「見ても面白いバンド」という方向性に向かわせていったわけだ。「Frank Zappa」の影響をももろに受けていたわけで、それらのインスピレーションが融合するのは想像するに容易いことだと思う。 そして「なぞなぞ商会」と形を変え世に出ていくこととなる。
 遠藤は物書きとしても異彩を放っていたわけで、「なぞなぞ商会」の公演台本はほぼ全て彼の手になるものだ。楽曲と楽曲を個別に奏でて終わるのではなく全体の「流れ」として捉え、ライブそのものを1話の芝居の如く奏でていく手法、ミュージカルとまでは言えないだろうが、そうZappaのお得意のあれだ。
そんな遠藤の台詞のいくらかには、遠藤が持っていた死生観を表す言葉が散りばめられている。もうすでに当時から遠藤の中では同時進行的に温めていたことでもあっただろうと思うが、散りばめられたそのもやっとした言葉たちを集めて「話」として集積する。その結実したものが奴のソロ活動「コスモスお」だ。
佐藤幸雄との「二人会」から始まった。
昨今SNSなどで情報入手がかの時代より易しくなっていることもあり、既に各話読まれた方も多いと思うし、語られた話の中にはすでに読んだな的な既視感をお持ちになった方もいるだろう。
 遠藤が永遠の世界ツアーへと旅立つほぼ3か月前、その「コスモスお」をラジオ番組のような形で残しておきたいと話が彼からあって、私もそれを勧めた。ツアーへと旅立つのはまだ先だと信じたからだ。長い間透析患者であった奴の身体はさらに大きな病魔に浸食され始めていて、奈良の自宅にて静養中であった。
病魔と闘いながらの作業ゆえに、スタジオなどに移動も困難であることから、自宅にて録音をするという形をとって進めたわけだ。
同時に、豆ともどもライブ時の撮影をお願いしていた写真家でヒーラーでもある「ね~さん」が施術に奈良に通うと聞きおよんでいたので、それならばと録音中の撮影も依頼することにし、時を見ては奈良へと向かった。
淡々と進められる録音作業。ぼつぼつ訥々と語り続ける遠藤。吠えていた頃の遠藤とはまったく違う、そう奴自身が思いをそのまま残しておきたいという静かだが強い気概。病の状態によっては時に明るく時につらく。それが数回続いて8月21日、録音は全作ではないにせよなんとか終わらせる時がきた。奴の「これぐらいが最後かな」のひとことで。
 残された奴の音声データが手元にある、モニターしながら録っていたときにも気づきがあったのだが、彼が望んだようにほぼ「ラジオ番組」のような仕様として残しておきたいし、そこに収まっている言葉の数々はもちろん残された家族へのものであるがそれだけに収まらず、遠藤を愛したすべての人たちへ向けた奴のツアー宣言のようなものだ。
それはやはり真摯に受け止めるものであって、噛みしめて欲しい。
ただ、世間的に出版という形は無理だと思うので悩みは大きい。
若々しき頃「まったくお前は素晴らしい奴さ。頭の中がおまんこでいっぱい。」と吠えた遠藤。そうだ、まったくお前はずっと素晴らしいままだ。
「 また豆の事凄いと思ったね 」と言い返されそうだな。
またやろうな豆。